クレプトマニアPOST

28110
盗癖・万引きに悩む人たちが、回復への方向を見い出すための掲示板です。
〔自分を含む個人情報〕〔犯罪を肯定するような内容〕〔他人を傷つける言葉〕はNGです。投稿の前に 管理人からのお願いをご一読ください。

管理人の保管庫クレプトマニア,家族と友人のための掲示板窃盗癖とは(赤城高原ホスピタル)

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無題 - かすみ草 URL

2024/03/23 (Sat) 06:50:23

下のリンク、最初に小文字のtをつけてください
Xの投稿です
ギャンブル依存症のまんがです

ttps://x.com/mimorimisa/status/1771138126687424715?s=46&t=qBbW5O44EJvTDTC7HGfqUw

ご参考に - 小次郎

2023/12/01 (Fri) 15:30:12

今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 152度目 [無断転載禁止]©2ch.net
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1495160824/



彼女は盗癖があった

0048おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止 2017/05/26(金) 06:13:38.74ID:luTY7oJ4
  昔友達だったA子は盗癖のあるぶりっ子だった。二人で遊びに行った時に、カバンを置いてお手洗いに行って帰ってきたら、カバンの中に入れていたゲームのカセットが数本無くなっていた。(あれ? カセットが無くなってる?)と気付いた私は、カセットを探したが見つからず、まさか知らない人がカバンを漁った?と恐怖を感じた。
  だが、それなら近くにいたA子が知らない訳がないと思い、「誰かここに来た...?」と聞いたがA子は「うーん、知らない。分かんない。私じゃない。」の一点張りで、一緒に探してもくれたが、A子はその場でくるくる回るのみ(本当にその場くるくる)。
  色々と不自然な点から、(まさかこいつが盗ったのでは?)と思い始めた。「まさかだけど、A子が盗った?」と聞くと、「私、知らないよ」(目を逸らした)。怪しさMAXだったので、A子に許可を取って、A子の身体調査させて貰った。

  するとシャツの胸ポケットから4本のカセットが見つかった。A子は「私知らない! 分かんない! どうしてここにあるの?」と否定したが、A子の服から出てきた以上、A子の仕業なのは確定。A子にどうして盗ったのかと問いただしたが、私知らない!とだんまり。流石にキレた私は、その場でA子を置いて帰った。

  次の日、A子から「こんな物が私のカバンに入っていたの...」って一枚の手紙を渡された。
  その手紙にはミミズが這ったような字で、「僕はA子の事が大好きな妖精だよ。昨日はごめんね、僕は君が好きだからこんな事をしてしまったんだ。君は許してくれないかもしれないが僕は...」と長々とA子の事が大好きな妖精からの、A子へのラブレターが綴られていた。
  「だから昨日のは私のせいじゃない、妖精さんのせいなの。だから妖精さんを許して」と言うA子(゚д゚)。なんかもう衝撃的すぎて呆れというか、怒りというか色んな感情がぶっ飛んでしまった。そしてその場で、「もう良いから、もう関わらないで」とA子に絶交を言い渡した。

  あの時は頭がやられて思考が働かなかったが、今だからこそ聞きたい事が沢山ある。
・結局なんで盗んだのか
・そこまでして謝りたくなかったのか
・なんでラブレターそんなに字が汚いんだよ? お前利き手じゃない方で書いたな?
・あくまで妖精さんに愛されている私?
・てか妖精さんってなんだよ
個人的にめちゃくちゃ衝撃を受けた出来事なので、ここにカキコ。

2017/05/26(金) 07:10:05.28ID:luTY7oJ4
>>51(何歳くらいの頃の話なんだい?)
  中学~高校くらいの時の話。



「盗まないと損」て考えに陥る

0056おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止 2017/05/26(金) 07:44:52.94ID:C0UBWEMK
>>49
  テレビで盗癖(精神科で治療を受けているレベル)のある人が告白していた。目の前に物が有ると「盗まないと損」て考えに陥ってしまい、それで頭が一杯になる。周りに人がいたり、持ち主に隙がなかったりして断念すると、「損した損した損した」て考えで、これまた頭が一杯になって、激しい自己嫌悪に陥っていしまうとか。
  A子の妖精さん云々も、そうした患者の典型例らしい。盗んだ直後はスッキリするがその後、手口が稚拙なのであっという間にバレて、社会的に大変な目に遭うと、
「私以外の誰かがやった」
「私はその誰かから濡れ衣を着せられた」
「だから、私は悪くない」
て論法で誤魔化そうとするって。



「持って行かないでどうする」

0062おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止 2017/05/26(金) 12:36:48.65ID:fdE27Y84
>>56
  俺も以前、軽い盗癖があって、通院していちおう治ったんだけど、(ただ、こういうのは根治はしないって言うからなあ…)。「持って行ける状態にあるものを持って行かないでどうする」って思っちゃうんだわ。
  理性が吹き飛ぶわけではないので、「持って帰ってどうするんだ」と思いとどまることはある。たとえば、施錠されていない自転車があったとして、盗んでどうするのか、とかね。

コピペ - 小次郎

2023/11/24 (Fri) 10:10:44

盗みをしなくなって5年、ブログを読んで下さい 4/4
クレプトマニアBBS
http://8508.teacup.com/akaruihoue/bbs?page=100&



  何千円の窃盗のために、2百万近くの弁護士費用を使いました

みなさんの凄い所 投稿者:クレプトママ 投稿日:2013年 9月11日(水)04時34分40秒
  みなさんの凄い所は「盗む事を止めよう」としている所です。当たり前の事だけど、私は長い間「止めたくない」と思っていました。止めなければいけない、と思いながらも一方では「止めたら損をする」と思っていました。主治医から言われた事があります、「摂食障害や窃盗やってる人は、ケチなんだよ基本的に」と。(失礼ないい方だ)と思ったけれど、そうなのかもしれません。
  そして私は何千円の窃盗のために、2百万近くの弁護士費用を使いました。そんな「損をする」とは夢にも思っていませんでした。

  本気で、100%止めたい、と思った時、それがチャンスです。恐怖を目の前にしている時がチャンスなんだと思います。ここで止めたい、と思ってる皆さんは確実にそのチャンスがあるのだから、そしてそのチャンスをきっと生かす事ができると思います。あんなに盗む事を止められなかった私が変わったのだから。



  カナダから強制送還、成田から東京拘置所へ直行し、15ヶ月の受刑

逃亡、そして受刑を経て 投稿者:クレプトママ 投稿日:2015年 3月 3日(火)09時15分45秒

  皆様、お久しぶりです。2年ほど前まで書き込みをしていました。ある日突然、ここから姿を消さなければならなかったのは、逃亡中のカナダで滞在ステータス(注…滞在資格)を失い、不法滞在となった家族の自宅へ、イミグレーション(注…入国管理)に踏み込まれ、強制送還、成田から東京拘置所へ直行し、15ヶ月の受刑をしていたためです。
  当時、私のブログにメッセージを送っていただいたり、逃亡中の私達の行く末をご心配して下さっていた方々が、まだこちらの掲示板をご覧になっていましたら、その節はお返事もできずに、申し訳ございませんでした。
  6年前の裁判の結果は、この様に最悪の結果になってしまいましたが、『窃盗癖』という病気と逃げていた私にとっては、受刑することは必要な事だったのかもしれないと、今は思っています。

  逃亡するまで離れたくなかった3人の子供達と、イミグレーションによって突然離されるという最悪のシーンは、今でも思い出したくない程ネガティブな状況でした。母を突然失い、さよならの挨拶もなしで慣れた環境から帰国する子供達の思い、それからの生活を想像すると、胸が痛むだけでしたが、受刑中はその事ばかりを心配できない程、受刑、というものはきっとみなさんが想像する以上に厳しいものでした。
  多くを語るつもりはありませんが、今現在、ここで悩んでる人達に、あんなに辛い、理不尽な思いをして欲しくなく、ご挨拶がてら書き込んでいます。
  手遅れになる前に、治して下さい。私が治ったのは、裁判で実刑判決が出てからでした。遅すぎました。まずは、今日1日、盗まない1日を送って下さい。頑張って下さい。



  クレプトマニアが受刑しても、根本的な回復は望めない

盗むことに依存 投稿者:クレプトママ 投稿日:2015年 3月 7日(土)07時35分7秒
  私は今現在、盗みの衝動はありません。約6年続いています。でもこれが永久に続くとも思っていません。主治医の「依存症に完治はない」という言葉が常に頭にあり、危機感を持っていよう、と心掛けています。
  私が盗みの衝動から解放されたのは、この医師と出会ってからです。残念ながら受刑したからではありません。私の場合は、事件を起こした頃(盗みを止められなかった頃)と、受刑した時期が随分空いている上に、受刑の随分前(6年前)に医師との出会いで回復に向かったので、受刑そのものの影響を、一般論では語れませんが。
  1つだけ確かな事は、クレプトマニアが受刑しても、その過酷な環境と、残酷な扱いに、それまで以上に自尊心は傷つき、人としての居場所を失い、恐怖のために一時的に衝動が止まっても、根本的な回復は望めない、という事です。

  今、この掲示板を見ている人達、見れている人達、感謝して下さい。万引きで捕まり、拘留されてる人、受刑している人は世の中に沢山いて、掲示板を見ることもできない。どうしよう......と悩むこともできない。全ての自由を奪われ、後悔しても、もう手遅れなんです。
  今、ここで掲示板を見ている人達、その人達が一番、止めるチャンスを持っているということ。そして1人では治せません。他人の介入があったほうが、より回復できると私は思います。クレプトマニアは脳の病気です。そして誰でも回復できる、ということ。
私は、やっかいな依存症を患ったけど、これが私の人生のミッション(注…使命、任務、役割)と思い、一生付き合って行こうと考えています。



  救ってくれた先生と他人の介入とは?

クレプトママさんへ 投稿者:こもれび 投稿日:2015年 3月 7日(土)21時40分33秒
  初めまして。私は万引きで3回捕まり、起訴されて今度裁判を控えています。弁護人は執行猶予は付くだろうと言っています。クレプトマニアを本当に治そうと思い、2ヶ所のKAミーティング(注…神戸・大阪)に通っています。また、赤城ではありませんが、クレプトマニアの治療をしている病院に入院しています。
  クレプトママさんに2点ほどお伺いしたいことがあります。「盗みの衝動から解放されたのは、医師と出会って」って、どの先生なのでしょうか(赤城の院長先生?)。また、「他人の介入があったほうが、より回復できる」とありますが、「他人の介入」というのが具体的にどういうことでしょうか。
  差し支えない範囲で構いませんので、教えていただけると幸いです。



  斎藤学先生と、『さいとうミーティング』に参加したこと

こもれびさんへ 投稿者:クレプトママ 投稿日:2015年 3月 8日(日)10時20分39秒
  こんにちは。質問にお答えします。私の主治医は、東京の麻布にある、さいとうクリニックの斎藤学先生です。
  私は10年以上、摂食障害、過食嘔吐をやっていて、斎藤先生の著書を読みあさっていました。 当時日本在住でなかったため、(帰国したらこの人に会いに行こう、そうしたら全ては解決する)と、まあ、かなり他力本願な思いで、会ったこともないこの医師に全てを託していた感じでした。
  その後帰国し、子供が産まれ、帰国直後から始まっていた窃盗癖は止まる事はなく、それでも、最初の裁判の時はまだ、斎藤先生にたどり着きませんでした。どこかで、こんなことになった自分は反省し、『自力で窃盗をやめることができる』と思っていたからだと思います。

  他人が介入したほうが、というのは、そういう意味で、私も先生にたどり着くまで、(絶対自分で止められる、やめられないのは意思が弱いから)と信じていました。だから捕まったり、恐怖に向き合えば、当然しばらくの期間はやめるけど、衝動はまたやってくる。
  私は子供がいたので、初めから赤城病院の選択はありませんでしたが、入院できる環境なら、赤城もよい病院だと思います。私は斎藤先生に会ってから1年後ぐらいに自分の中の変化を感じましたが、薬を処方された訳でもなく、なにをどうされたのか、未だに判りません。
  依存症の権威でもある医師ですので、治療法も特出しているのでしょうが、このクリニックで行われている、『さいとうミーティング』の影響がとても大きかったと感じています。

  私はKAミーティングに出た経験がありませんが、このさいとうミーティングと同じく、他人の話を聞き、共感したり、たまには反面教師的な思いにかられたりする事で、自分を客観視できるようになったり、何より、全てをさらけ出しても共感してくれる仲間の存在は、窃盗の問題の奥にあるところに、大きく響くのだと思います。
  私の言う、人の介入とは、そういう意味です。窃盗癖を止めるのに必要なものは、1人では得られない、と考えています。
  こもれびさん、今大変な時と思われているでしょうし、実際大変な時だとは思いますが、同時に治る為の貴重な時でもあります。人は頭で解っていても、切羽詰らないと行動しないものです。今、悩み、考え、行動に移すことが、長い目で見れば、良い道を歩み出せるチャンスだと考え頑張って下さい。

  余談ですが、私は受刑を刑務所ではなく、拘置所でしました。拘留されている人の世話、雑用をする作業が任務(懲役)だったのですが、そこには本当に気の毒な窃盗癖であろう人々がいました。摂食障害を患い、食事のたびに刑務官に、「吐くな吐くな」と怒鳴られていました。痴呆が始まっている老人もいました。
  そんな姿を見てきた私は、このブログで、(変わりたい、辞めたい)と思っている人達は、とても恵まれていて、そして私はその人達の力になりたいと思っています。私が変わったのだから、みんな変われます。まずは今日1日の無事を。こもれびさん、頑張って下さい。またお話聞かせて下さい。



(注…)
◎拘置所
  主として,未決拘禁者(被疑者、刑事被告人)を収容する機関。簡単に言えば、捜査が終了し裁判を受けて判決がでるまでの間、身柄を収容するための場所。

◎刑務所
  裁判の結果身体拘束を伴う刑罰(懲役、禁錮など)が確定し、その刑に服することとなった者を収容する施設。



  夫は、とてつもないポジティブな思考の人

こもれびさん、そしてみなさん。 投稿者:クレプトママ 投稿日:2015年 3月13日(金)20時40分31秒
  こもれび(失礼かもしれませんが、クレプトママさんのご家庭はどのような感じでしょうか)。

こもれびさん
  うちの家庭、というか夫は、とてつもない前向き、というかポジティブ(注…プラス、陽性の)な思考の人で、勿論、私の窃盗が発覚した時はとても驚きましたが、その頃、アメリカ在住で、逮捕された私の身元確認のために夫に警察から電話が入ったのですが、笑いながら、「そんな訳ない」と言って、警察官を呆れさせたような人です。
  子供3人もいながら、海外に逃亡したり、私の受刑中の留守も男1人で切り抜けられたのも、彼がどんな状況でも前向きで、私という人間を信頼してくれていたからだと、私はその辺りは恵まれていて、感謝しています。
  実際はその明るさや能天気さから発生する様々な事で、そんな感謝も忘れてしまう事がほとんどですが。


以上です。御参考になれば幸甚です。

コピペ - 小次郎

2023/11/23 (Thu) 06:10:26

盗みをしなくなって5年、ブログを読んで下さい 3/4

投稿者 kleptomama 時刻: 23:50
クレプトマニアBBS
http://8508.teacup.com/akaruihoue/bbs?page=100&


自己破壊的行為

「こんな最低な自分も結構好き」と思える様になった
2013年9月10日火曜日

  警察官に、検察官に、何度聞かれたであろう「お前、反省しているのか?」 正直な私は初め「よく判らない」と答え、チンピラの様な刑事を激怒させた事がある。実刑になった裁判の控訴審を担当した銀座に事務所を構える木O弁護士は、「貴様、反省してねーだろー!」と机を蹴っ飛ばした。
  控訴審に向けて彼が作った資料には「この被告人は反省していないから同じ事を繰り返す、釘1本盗んで、どれだけの人がどれだけ困るのか私が教えてやりました」と書かれていた。この弁護士の話はまた後々して行くが、彼に「反省」を強要されていた同時期に、私は斎藤医師の治療を受けていた。「反省してないと弁護士に怒られています」と話すと、彼は笑って「あなた達が盗むのは自己破壊のための行為だからねー、反省なんかする訳ないでしょ。悪い事してるって思って盗んでるの?」と聞かれた。
  「人の物は盗んではいけません」と子供でも知っている事だから、悪い事だとは判っているけど、どちらかというと「悪い事だからやっている」、そんな感覚が近かった。

  沢山の依存症患者を診て来た斎藤医師は、毒舌でも有名な医師だったが、時々遠くを見て「あなた達のおかしな行為は死なないためにあるんだから、いいんじゃないですか治らなくても」というような類いの事をおっしゃっていた。
  いつの日か、自分を愛せなくなり自己破壊行為に走る。摂食障害も窃盗も一番簡単に出来る依存症だから(私にとっては。アルコールはそれほど接点がなかったし、ギャンブルも興味なく、セックス依存には相手が必要だったり....)  今思えば、奇妙でやっかいな病だけれど、ごく普通の成り行きだった様な気もする。
  では自己破壊的行為をやめるには何が効果的なのか。私が知らぬ間に斎藤医師からかけられた魔法は、「こんな最低な自分も結構好き」と本気で思える様になった事だった。ちょっと客観的に見ると、自分のして来た事は滑稽で、気の毒で、でも私頑張って来たのよ、と自分を愛おしく思えるようになった時、それまであった自分への怒り、親への怒り、他人への、夫への、全ての怒りが段々と消えて行ったかのような、「あー、私は怒ってたんだな〜」とよく判らないけど、そんな気持ちを経験した。

  怒り、今も全てが消え去った訳ではないだろうけど、きっとうまくつき合える様になったのかもしれない。生きていると理不尽で腹立たしい事も沢山あって、子育て中の私は1日の殆どを怒って過ごしているけれど、それと同じくらい「こんな人生も悪くない」と人生を楽しむ事が出来る様になってきたのかもしれない。
  それにはやはり共感してくれる人の存在、そんな人々に沢山出会えた事が、今の自分を導いてくれたのだと確信している。
投稿者 kleptomama 時刻: 4:26



(被害者に申し訳ない)と思った事がありませんでした

ありがとうございます 投稿者:クレプトママ 投稿日:2013年 8月13日(火)12時13分17秒

  みなさん、ブログを読んで頂いて有難う御座いました。自分自身のため、支えて来てくれた家族、友人のために全てをここで語って行こう、と始めたブログでしたが、同じ悩みを持つ仲間のために、特に日本で窃盗癖を患い悩む人のために、私の苦く壮絶な経験を知る事で、何かよい方向への導きができたら、とこちらに書き込ませて頂きました。


  100円ほどの万引きで、箍(たが)がはずれる。警察官に、検察官に、どれだけ「家族に申し訳ないと思わないのか?」と言われても、その衝動が来ると、抑える術はありませんでした。医者に出会うまでは、(心底止めたい)とも思っていなかった気がします。医者に会ったから(止めたい)と思ったのではなく、(どうしても止めたい)と思ったので医者に行きました。
  私はどれだけ罪を犯しても、(被害者に申し訳ない)と思った事がありませんでした。心の底からは。家族には申し訳ないと思いながらも、被害者には、反省どころか怒りさえ感じていた図々しい私でした。
警察官に「お前本当に反省してるのか? 誰に一番悪い事したと思ってる?」と聞かれ「子供です」と答え「バカヤロー、店の人間じゃないのか?!」と怒られたことがありますが、今でも同じ答えをするでしょう。そして同時に「本気で盗みをやめる決意」はこの子達なしではなかったのかもしれない、とも思います。

  いつも自分を責めていました。最低、最悪の人間だと。母親だと。医者と出会い、回復に向かい、自分の中に感じた変化は、そんな駄目な自分を結構好きになっていた事でした。窃盗してきた自分を好き、というのは少しおかしいけれど、医者やグループミーティングで、窃盗犯に「共感」してもらったことで、(きっと、こんな人間もありでいい)と思える様になった気がします。
  もう一つ私が皆さんにお伝えしたい事、私が自身の窃盗にまつわる話をすると、多くの日本人は驚きふためき、簡単に言うと「犯罪者だったんですね、あなた」というリアクションですが、アメリカ人やカナダ人で、そのようなリアクションをする人に出会った事がありません。You might got through such a hard time. さぞ大変な思いをされてきたんですね、というような意味の事を開口一番にします。
  これは、いかに日本人が、メンタルイルネス(注…精神疾患)を日常としての知識として持っていないか、と言う事で。そういう意味では、世間や社会は私たちのような依存症者には、とても厳しい国なのだと思います。その社会の中では、もっともっと、自分を責める構造に陥ってしまうから、あまり社会の声は聞かないよう過ごす事が、回復への道には効果があるように思っています。
長文失礼しました。



  友人「何があっても許さない、どうか刑務所に入れてくれ」

ありがとうございます 投稿者:クレプトママ 投稿日:2013年 8月24日(土)04時41分2秒

  執行猶予付きの判決をもらったのは、確か平成18(2006)年でした。1ヶ月留置された後のこの判決、2人の幼子を残しての突然の留置へのショックと後悔、恐怖から、当然しばらくは窃盗の衝動も起きませんでした。
  2年が過ぎた頃、スーパーでの万引きがきっかけでまた盗みが始まり、それはそれまで以上のものでした。盗めるものは全て盗む、というほどの勢いでした。

  20ヶ月の実刑の判決が出たケースは、友人のクレジットカードを盗み使用した罪です。そしてその友人は、当然友人の「裏切り」に怒り、嘆き、裁判では「何があっても許さない、どうか刑務所に入れてくれ」と話しました。その被害者の言葉はどんな弁護にも勝るものはなく、最高裁でも「被害者の感情に従い...」とありました。
  これが事実関係です。未だにその延長でもがいていますが、私はこれでよかった、と思っています。それは「実刑」を目の前にぶらつかされ始めて、「盗みを止めなければ」と思えたからです。
  それまでは、たとえ2日、2週間、2ヶ月盗まない日があると、嬉しい反面「損をしてる気分」がいつもありました。あの実刑を目の前にし、初めて「何が本当に損なのか」が解ったのだと思います。

  とても愚かな自分でした。子供を、家族を犠牲にしなければならないほど、私は何をどうしたかったのか。それでもあの時、その友人が許してくれていたら、私はきっと第一審で執行猶予のついた判決を貰い、しばらくはその恐怖で盗みをしなくても、またいつの日か遅かれ早かれ盗みに明け暮れる日は来ていたのだと思います。
  それを思えば、やっと斎藤医師に出会い、回復の道に乗れたのは、長い人生を思えば「不幸中の幸い」なのかもしれない、と思っています。
  沢山の人を傷つけ、怒らせ、でももうそれはどうする事もできなく、無責任ないい方ですが、そこはきっと私の力では変える事はできない。でもここで悩み、迷う方達の思いに、何かの形でお役にたてたら、それが社会への私のお詫び、にさせてもらいたい、と願っています。



  恐怖の抑止力は長続きしない

喉元過ぎた時 投稿者:クレプトママ 投稿日:2013年 9月 9日(月)22時23分34秒

  きっとみなさん同じだと思うのは、逮捕や罰を前にした時の恐怖で、(盗む事は止めよう)と歯止めがかかるのではないでしょうか。私も逮捕された時、留置された時、そんな時はいつも(2度とやらない)と誓ったものでした。
  そして盗まないクリーンな自分の自己評価は上がるものの、ある日衝動に襲われガム1つの万引きから、また元に戻り、自己嫌悪に陥る、その繰り返しでした。
  窃盗に一番効果的なのは「恐怖」なのだと思います。でもそれは持続しないという最大の欠点があり、きっと多くのみなさんはそこから抜け出せないのだと思います。私が抜け出せたのは、専門医の治療ですが、具体的になんだったのか、それは「衝動を客観的に見てコントロールできるようになる」事でした。

  コントロールできる何かを、治療で培ったのだと思うのですが、それが何なのかは判りません。ひとつだけぼんやり判っているのは、治療前は自分を最低の生き物、盗みなんかする卑劣な生き物、と信じていたのが、徐徐に「盗みをする自分」を受け入れられる様になっていた事です。
  抽象的にしか説明できないのですが、自己評価がかなり上がったのだと思います。恐怖が目の前に存在している間は私たちは強いけれど、その恐怖がなくなり喉もの過ぎた時、その時の対策がとても重要と思います。



  グループミーティングで自分をまるごと受け入れられる様になった

いつかさん 投稿者:クレプトママ 投稿日:2013年 9月10日(火)12時19分3秒

  自己を愛せない事から始まる自己破壊なんでしょうね。私が一番辛かったのは、誰にも盗癖の事を話せない時でした。普通の顔して子育てしながら窃盗を繰り返す自分は、最高に醜い人間に思えました。
  自分をまるごと受け入れられる様になったのは、クリニックでのグループミーティングで、大勢の人の前で自分の窃盗の話をするようになってからでした。言いっぱなし、聞きっぱなしのミーティングで何度か話をしていたある日、1人のミーティング参加者の方が「OOさん、応援してます、頑張って下さい」と帰りがけの私に声をかけて下さいました。
  見ず知らずの他人が、それも私の窃盗癖の話を聞いている方が、とても温かいまなざしでそう声をかけて下さり、握手をして下さったその体験は、窃盗をする自分も受け入れてあげよう、愛してあげよう、と思う強いきっかけでした。

  その後クリニックでは、私は他の患者さんと戯れる時間はありませんでしたが、食堂で食事中などには沢山の方が、「頑張って」と声をかけてくださったり、実刑が決まった時も「元気で帰って来てね!」などとおっしゃってくださいました。
  斎藤医師との出会いで、私は確実に回復の道に乗れたけれど、医師自身の力より、そんな他の患者さんとの出会いと共感の中で、私は自分を受け入れる事ができるようになったような気がしています。
  いつかさん、みなさんも、ひとりでも世の中に理解者がいて、回復を心から願ってくれるなら、こんな私も悪くない、と自分を受け入れて見て下さい。少なくてもここに来ているみなさんは、回復しようと頑張っているのだから、頑張っている自分を誉めてあげて下さい。

コピペ - 小次郎

2023/11/22 (Wed) 04:45:44

盗みをしなくなって5年、ブログを読んで下さい 2/4

窃盗

同棲男(現夫)の浮気現場を見て、窃盗の日々が始まった
令和5年(2013)年2月21日木曜日

  現在の夫である人との出会いで、夢にまで見た過食嘔吐のない日々。少し幸せな気持ちでいられたのもきっと半年ぐらいの出来事だった記憶がある。彼の一言で再発してからは、その症状はひどくなるばかりだった。
  毎日、は当たり前、1日に2度、3度、身体は酷使されて行った。拒食症患者の様にいつも死と背中合わせではないが、動けなくなる程に胃を満たし、その量を嘔吐する、という行為は奇妙なだけでなく、確実に疲労を伴い、ある日嘔吐物と一緒に多量の血を吐いた。
  罹り付けの医師に見てもらうものの、正直に全てを話せる事なく、今思えばニューヨークで名のある胃腸の専門医が、なぜ私が血を吐いてるのかなど容易に想像していただろうが、「自分の身体ぐらい大事にしなさい」と言われ、その言葉をかみしめて病院を後にした。

  吐血はそれなりにショックだった。異国の土地で、こんな奇妙な行為のために私は人生を棒に振るかもしれない、と恐怖を感じた。そしてその恐怖が私を決心させた。どれだけ太ってももう食べた物を吐かない、自分の身体は自分でしか守れない。
  そんな思いで、なるべくカロリーの低い物を食べ、それを戻す事なく、日々が過ぎて行った。今ここに一言で書く程、簡単な事ではなかったはずだが、それでも過食嘔吐のない時を久しぶりに送れていた。今思えばそれはただ、臭い物に蓋をしただけの、根本の解決にはまるで至っていない、表面的解決だったけれど。

  数ヶ月が過ぎた時、ひょんな事がきっかけで、同棲していたその男(現夫)が、他の女の人と付き合っている事を知ってしまった。まるでそんな事を予想していなかっただけに、なぜかこの人が私を裏切る訳はない、と信頼しきっていただけに、その動揺は膨大だった。
  ニューヨークのアッパーウエストのジャパニーズレストランで彼らは働いていて知り合った。本人の口から語られる2人の「恋」の様子は、私の「生」を否定する程重くのしかかり、歩くのもままならない程弱ってしまった。私達が住むアパートから数ブロックしか離れていないそのレストランで、2人の仲睦まじい姿を通りすがりに見てしまった。見に行ったのかもしれない。
  そしてその足で、ニューヨーカーに人気のゼイバースという高級スーパーマーケットに向かった。美味しいチーズやソースを買いに、時々通ったその店で、迷う事なく棚に並ぶ食料品を自分のバッグに入れた。そして店を出る時に店員に呼び止められた。

  財布の中身と免許証を確認され、「なんでお金を持ってるのに盗んだのか?」と聞かれたが答える事ができないまま、$60余りのその盗品を買い取るように要求され、ポラロイドカメラで写真を撮られ、「二度とこの店に来るな」と叩き出された。屈辱だった。そしてでも同時に、「これが私なんだ」と行き着くところに行き着いたような安堵感を感じていた。
  2人の働くジャパニーズレストランの前をもう一度通り、2人を確認する。そんな自傷行為の様な事をしてから、歩いて数分のアパートに戻った。そして盗むはずだった食料を全てを胃に流し込むと、あれが自暴自棄というのだろう、(もう吐血しても死んでもいい、どうにでもなれ)と、トイレの便器に頭をうずめて泣いていた自分を、今でもはっきり覚えている。
その日から、私の窃盗の日々が始まった。
投稿者 kleptomama 時刻: 15:12



日本を出た本当の理由、時効を海外で迎えるため

精神科医「斎藤学」、やっとこの人に会える日が来た
令和5年(2013)年8月12日月曜日

  ニューヨークで始まった窃盗は、日本への帰国、長女の出産、子育てを経て止まっていた。あの衝動はなんだったのか、と思うくらい、その感覚を思い出す事もしばらくはなかった。
  もう来る事もないと思った衝動に襲われたのは、長男を妊娠してからしばらくの、帰国後2年目ぐらいだったと思う。確か100円程のお菓子を折り畳んだベビーカーのフォローに入れ、店を出たその日から、たがが外れたかの様に、再び盗む事に明け暮れる日々が始まっていた。ベビーカーの中にいる幼い長女、お腹に宿った無垢な命を感じながらの窃盗は、底が見えない程の罪悪感を私に浴びせていた。もうこれ以上落ちる所はない、安堵感があったような気がする。
  捕まるとその恐怖でしばらくは治まる衝動も、時間の経過とともにまた始まる。そしてついに私は2人の幼い子供を残して、1ヶ月留置される事になった。あの時の後悔と恐怖は、今でも思い出すだけで吐きそうになる。

  授乳していた胸はパンパンに張り、乳を絞りにトイレに入ると、担当さんと呼ばれる婦警に罵られ、取り調べの度に、警察に、検察に、「お前は馬鹿か、あんな可愛い子供がいて、なんでこんな事をしたんだ」と言われ続け、「最低の母親」のレッテルは、その辺では見かけられない程の立派なものだった。
  そしてこんな屈辱と後悔の元で、この先どんな事があろうとも、二度と自分が盗みに手を染める事はないと、100%信じる事ができた。「強い意志さえあれば、止められる。そして私はその強い意志を、この苦い経験で与えられたのだから」
  突然消えた母を思う子供の気持ちだけを思いながら、長っかた30日は終わった。保釈され、慌ただしい年末の街を子供の名前を呼びながら走った。母は泣き崩れ、娘は驚きと喜び、そして1歳になったばかりの息子の記憶からは、私は消えていた。手を伸ばす母に、人見知りをして泣き叫ぶ息子を見て、「強い意志」は一層揺るぎないものになった。

  年が空けてからの裁判で、判決は執行猶予付2年の懲役2年半をもらった。その後も留置所での日々は朝晩頭を埋め尽くし、忘れる事はなかった。そのお蔭で「強い意志」はいつもそこにあった。
  永遠にあるはずだと信じていたその「強い意志」は、2年程しか続かなかった。警察は乳飲み子がいる事を理由に逮捕をせず、書類送検となり、在宅起訴をされる事になった。
  平成21年春、東京地方裁判所で実刑2年半の判決をもらい、裁判官の「前回の裁判で、もう二度としない、と言ったあなたの言葉は信じがたく、反省はみられない」という声を遠くに聞きながら「まったくその通りだ」と壊れすぎた自分を哀れんでいた。
  (あの時の「強い意志」はどこへ行ったんだ、私はここまで愚かな人間だったのか)と自問自答をしているうちに、「意志」ではどうする事も出来ない事に気がついていった。

  精神科医「斎藤学」、やっとこの人に会える日が来た、とそう思ったのを覚えている。ニューヨークにいた頃にたどりついた1冊の本。家族機能研究所と呼ばれるこの機関で、斎藤医師は、様々な依存症は家族が家族として機能していない事から始まる、と日本全国からの患者の治療に当っている。
  摂食障害の権威でもある斎藤医師の本は、帰国後片っ端から読んだ。私の事を書いてあるかの様なその内容と、無骨な物言いの中の温かさに、会った事もないその精神科医に親近感を感じていた。そして常に頭の隅にあった、ある著書の中の「過食症患者が窃盗癖を併存する事はよくある」という一行に、私の窃盗は病気なのかもしれない、病気ならこの医師が治してくれるかもしれない、と最後のかすかな希望を胸にやっと斎藤医師と繋がることができた。
  デイケアと呼ばれる朝から晩までのプログラムに、乳飲み子と幼稚園児、小学生を持つ母親が毎日通うのは大変な事だった。それでも「強い意志」など幻と判った今、選択の余地はなかった。

  さいとうミーティングと呼ばれる、クリニックの一番のメインのグループミーティンで、自分の窃盗の話等を、見ず知らずの100人余りの患者の前で話をするようになってから、自分の中に変化を感じていった。
  自分を責め続ける事でバランスを保っていたかのような私の一部が、違う形に変わっていった、というか、ダメな自分でさえも受け入れ、愛せる様になっていった、という事なのか。それはまだ、父が生きていた頃に味わっていた居心地と似ていた。
  同時期に裁判は控訴審へ進み、それでも「実刑」という判決は覆る事なく、最高裁まで持ち込まれた。やっとたどり着けた安堵感と、裁かれる恐怖の狭間で、あっという間に月日は流れた。最高裁には斎藤医師が、私の精神鑑定の結果、世間や司法では理解されない、「窃盗癖」を患う患者の医師としての意見書を書いて下さった。
  クリニックに通院する事で、ありのままの自分を初めて受け入れられ、深い所に変化を感じていた頃、最高裁での判決、実刑1年8ヶ月、は確定した。平成21(2009)年12月、収監の通知は年明けに来るはずだった。

  私の症状は明らかに回復に向かい、最後まで執行猶予がつくはず、と望みをかけていた夫、母は絶望の境地だった。子供達はどうなる? だれが私の代わりをできるのか? だれの頭も子供達の事でいっぱいだった。そして私は1年8ヶ月後に出所してくる自分を想像していた。
  やっとたどり着いた安堵の場所は崩れ去り、自己嫌悪の固まりとなって、子供達との再会に震えるみじめな自分を見た。家族がバラバラになり、不安の中で暮らした淋しそうな子供達の目を想像すると、自分を責めずにはいられなかった。
  自尊心などマイナス100ぐらいになっているだろう、その私はまたきっと自分を責め続け、窃盗の衝動に簡単に負かされるだろう、そう思うと刑務所に入るという結論が、あまりにも理不尽で意味がない、なんて事も思っていた。

  朦朧とする中で、それでも迫る現実の話し合いの中、「1歳の次男の面倒を見れる人はいない、施設に入れるしかない」と夫が言った時、私の心は決まった。「私は刑務所には行かない、海外に出る。」
  数日で刑法を調べ上げ、刑の時効というものがある事を知った。刑の時効は公訴時効と違い、海外に出ていても時効になる、と言う事も。夫は「逃げる」なんて「卑怯」な事は出来ない、しかも子供を道づれにそんなリスクを犯せない。と頭から聞き入れなかった。当然と言えば当然の意見で、私も特に言葉にはしないものの、一番肝心な部分を共感してもらえない寂しさを夫に感じた。
  そしてその日から、私は出国に向けての準備を始めた。回復しかけているやっかいな癖に再び襲われる疎ましさと、刑務所から帰る母を待つ子供達の切ない思いに比べれば、立ちふさがる壁などたいした事はない、と自分を奮い立たせていた。それでも恐怖に背中を押されている様な日々の中で、夫が自分も行く、いう決心を伝えて来た。

  平成22(2010)年2月7日、私達は日本を発ちカナダへ来た。2月8日、私の収監予定日の前日だった。
投稿者 kleptomama 時刻: 14:48



今やっと見えて来た事

依存症というのは、「愛を確認」するための病気だった
令和5年(2013)年8月17日土曜日

  摂食障害も窃盗癖も、依存症という病気の根源は、幼少時の環境の影響が大きいらしく、私自身も、厳しく一方では完璧だった母親との関係を思うと、それは容易に納得出来るものだった。多分私自身のネイチャーは、マイペースで人が好きなだけの人間だったのかもしれないけど、無意識の中で母に認められるための自分を装い頑張り続けていた人生。
  窃盗癖をディスクライブ(注…説明)する時に、「リスクに見合わない盗みを繰り返す」というけれど、私が抱えたリスクは「全てを失う」といってもいい程の強烈なリスクにも関わらず、ここまでの道を歩いて来たのは、どういうことだったのだろう、と何年もぼんやりと考え続けていた。
  今月の末、私と子供は離ればなれになるかもしれない、又は家族でアンダーグラウンド(注…裏社会)になり、子供達は学校さえも行けなくなるかもしれない。絶望の中で日々が過ぎて行く中、ひとつだけ確かな思いにたどりついた。

  依存症というのは、簡単に言うと、愛に飢えた子供が、人間が、母の、他人の愛情を確かめるために、自分自身あるいは回りをも巻き込んで破壊し、これでもかこれでもか、と駄々っ子のように「愛を確認」するための病気だったのかもしれない、と思った。
  この絶望の中で私が感じたのは、私を、私たち家族を支えてくれる人が、真剣に思ってくれている人がこんなにいる、と言う事。そして私は今までそれを知らなかったと言う事。人間の意識は、90%は無意識、意識があるのはたったの10%らしい。私は多分90%の無意識の部分で「私は愛されてない」と思っていた。だからリスクが大きくなればなるほど、自分の崩壊も進んでいったのだろう。
  愛する人達が私たちを救う為に書いてくれた手紙、そこには私の知らなかった友人達の愛が書き連ねてあった。そして私のこれまでの壮絶な日々は、ここに来るまで、ここに来なければ、本当の意味で終わらなかったのかもしれない、と今やっとそんなふうに思う。

  色んな場所で、色んな人達に関わって来た。でもきっといつもアンコンディショナル(注…無条件の)な愛を求めていた様な気がする。このままの自分を愛して、とそんな意識はさらさらなかったけど、私のして来た事はそう言う事なのかもしれない。
そんな意味で「窃盗」は一番判りやすい自滅で、そう考えると自分自身が気の毒に、同時に愛おしく思えて来た。
投稿者 kleptomama 時刻: 23:50



コピペ - 小次郎

2023/11/21 (Tue) 06:57:36

  こういう記事を見つけました。皆さんのお役に立つならと思い、投稿しました。


クレプトマニアBBS

http://8508.teacup.com/akaruihoue/bbs?page=100&



盗みをしなくなって5年、ブログを読んで下さい 1/4

知ってもらいたい 投稿者:クレプトママ 投稿日:2013年 8月12日(月)14時30分54秒

  みなさん、こんにちは。随分前に投稿していました。私は20年以上続いた過食症で吐血したことから嘔吐をやめ、そこから盗みが始まりました。外国での逮捕、帰国して母となってからの逮捕、実刑を目の前にしてやっと「1人では治せない」との思いから精神科のドアを叩きました。回復に向かう中、最高裁までいった裁判で確定したのは実刑1年8ヶ月でした。
今私は外国に居ます。盗みをしなくなって5年が経ちました。とはいっても医師から伝えられている様に、衝動はまたやってくる、と思っています。日本の司法制度の歪み、司法や世間の精神医学に対する遅れ、のゆえ、窃盗癖に悩む人達の居場所が、更生するための位置から、かなり遠い位置にある事など、いつも1人でも多くの人に、この病気を知って欲しい、と思ってきました。
  自分の状況などから、ここでも多くを語れませんでしたが、ここで悩み、回復を願う方々のために、少しでもお役にたつ事ができれば、とブログを書き始めました。よろしければ読んでみて下さい。
kleptomama.blogspot.ca/



Addiction worriior (依存症戦士)

摂食障害とクレプトマニアを患って、回復までの日々

http://kleptomama.blogspot.ca/
依存症という病気
自分を責める、自分自身に自己懲罰を与えてきた
令和5年(2013)年1月31日木曜日

  依存症という病気をよく知っている日本人は少ないかもしれない。一般的によく知られている アルコール依存症を始め、ギャンブル依存症、買い物依存症、セックス依存症、そして私も患った摂食障害、窃盗癖、知らない人は「自分の弱さを病気のせいにするな」と激怒するが、これらの依存症意志が弱いから治らないという様な代物ではない事を、どうか多くの人に理解して欲しい。
  ここに依存する事で、生きているという事をどうにか保っている、心なのか脳なのか、確実に何かが壊れてしまっている、それが依存症という病気だという事。
  そしてそんな病気になってしまう大きな原因は、簡単に言うと「自分を好きになれない環境」に幼い頃身を置かなければならなっかったから。ありのままの自分を受け入れてもらえなかったから、自分自身を受け入れられない、頑張って生きているうちに、目に見えない何かが壊れてしまっていた、そんな感じだと思う。

  私は、といえば、自分の中の何かが壊れていた事なんて、あの日警察がうちに来るまでは実感がなかったのかもしれない。ずっと生きにくかった。どうしてこんな風に生きにくいのだろう、と悩むこともあった。でもそれは自分が悪いからだ、という結論にいつも至る。
  自分が足りない人間だから、こうなるんだ、と全てを解決してきた。そしてそれは壊れていた何かに、さらに拍車をかけていたのかもしれない。
  私の摂食障害が始まったのは今から既に30年近く前の日本。今でこそ「摂食障害」「過食症」と聞けば多くの日本人はその概要を全く知らない事はない(根底の問題を理解している人は少ないが)。もし時代が違っていれば、もう少し自分自身にも世間にも知識と理解があれば、こんなに長い道のりを歩く事はなかったのかもしれない。

  自分がおかす奇妙な行動を、自分を責める事で折り合いをつけ、長い間自分自身に自己懲罰を与えてきたかのような人生。そこに微かな光が見えたような気がしたのは、もうそれ以上落ちる場所がないほどに落ちた時、掛け替えのない我が子の寝顔を見た時だった。
  自分では変えられない自分に気付き、依存症という病の恐ろしさを知り、やっとたどり着いた斎藤学医師、彼との出会いがなければ、私は今頃冷たい刑務所の床の上で、愛する我が子を想い、涙を流しながら自暴自棄の黒い影に身を任せていただろう。
投稿者 kleptomama 時刻: 5:28


(注…)
斎藤学(さいとう さとる、昭和16(1941)年 - )は、日本の精神科医。東京都生まれ。国立療養所久里浜病院精神科、東京都精神医学総合研究所などを経て、平成7(1995)年より家族機能研究所代表。日本子供の虐待防止研究会理事。日本嗜癖行動学会理事長。
  人の嗜癖行動が、その人の家族関係や成育歴と密接なかかわりを持つということに、昭和55年代からいちはやく気づいた。小児科医や精神科医が児童虐待を見逃している、と批判して「児童虐待」という概念を日本に定着させた。
  彼の名が一般に知られるようになったきっかけは、「仮面の家」である(横川和夫著)。アダルトチルドレンという用語と共に多く知られることとなったのである。
  近親姦の話を彼は初め、「ファンタジー」としてカルテに書いていたが、ある女性から、自分と弟は父から性被害に遭い、弟は精神分裂病と言われているとの電話を受け、この頃からこの問題に彼は深く立ち入るようになった。
  斎藤は、患者が訴える近親姦の挿話がたんなるファンタジーではなく、日本においても記憶の回想によるものであることを、実証的に提示していった。たとえば、平成5(1993)年に過食症の女性患者52名、比較群の健康女性52人に近親姦の被害調査を行ったところ、健康女性の2%、過食症の女性患者の21%が、18歳までに近親姦の被害に遭っているという結果が得られた例を挙げている。



幼い頃
「あんたなんか産まなきゃ良かった」という母
令和5年(2013)年2月6日水曜日
  4歳下の弟とごく普通の家庭に育った幼少期。出来の良い弟と比べられるのは日常茶飯事だった。勉強もスポーツも、何をやっても簡単に熟す弟、何をやってもパッとしない姉、それが母を含む大人たちの印象だったのだろう。
  弟と比べられても、とりえがない、と言われても、怒るわけでも悲しむわけでもなく、ただひたすら生きていた私。でも本当は怒っていたし悲しかったのだろう。そんな感情さえ押し殺し、良い子だった幼少期。
  母は厳しかったが毎日美味しい食事を作り、夜遅くまで私のために服を作り、家族のために身を粉にして働くこの完璧な母を、「悪者」にする術は、当時の私にはまるでなかった。出来の悪い娘に向かって「あんたなんか産まなきゃ良かった」という母も、私は何十年も責める事はなかった代わりに自分を責めた。「なんで産まれてきちゃったの」心の奥にいつもあったその言葉。

  それでも一見平穏だった私の幼少期は、父のお蔭だったかもしれない。仕事人だった父もまた厳しい人間だったが、私には甘かった。マイペースだった私は、母に否定されても父の存在で、自分自身を肯定しようとしていたのかもしれない、と思う。
父が亡くなったその年、私の過食症との戦いが始まった。
投稿者 kleptomama 時刻: 11:09



過食嘔吐の日々
「すげー、横綱入ってきた!!」の一言で再発
令和5年(2013)年2月17日日曜日

  18歳で家を出て、21歳の時に父が他界、その後過食嘔吐が始まったのは22歳だったと思う。誰もがダイエットに夢中だったあの頃、どこかで華奢なモデルが「食べても吐けば大丈夫」と言っていたのを実行してみただけの、小さな始まりだった。
  それはあっという間に自分ではコントロールできない奇妙なものに変わっていった。食べて吐くというよりは、吐くために食べる、そんな行為が日課となり、25歳で結婚した相手はそんな日課など知る由も無いまま、28歳で離婚する事となった。
  自分は狂ってしまった、と思っていた。普通にご飯が食べられない、今日こそは吐かない、とどれだけ誓っても、胃に少しでもものが入るとまるでスイッチが入ったかのように、動けなくなるほどに胃を一杯にしなければ終わる事がなく、そしてトイレに駆け込む。そんな卑怯な手を使って痩せて行く自分。
  何年か前の多少太っていても、普通にご飯を食べ、ケラケラ笑っていた自分には、もう二度と戻れないのかもしれない、そんな恐怖と自己嫌悪の闇の中での何年間。

  まだインターネットもない時代、何で目にしたのか記憶が定かではないけれど、自分のしている行為に「過食症」という名前がある事、そしてそれは「病気」だと言う事、アメリカには過食症専門の医者がいる、という事実。25歳で行った新婚旅行先のニューヨーク、どうしてもここに住みたい、住むに違いない、と後ろ髪を引かれる思いで帰国し、離婚に至ろうとしていたその頃。「アメリカに行けば、こんな自分を終わる事が出来るかもしれない」と一筋の光を想像したのは、なんとなく覚えている。
  離婚をし、弟に頭を抱える母を後に、夢と希望だけを詰めて私はニューヨークへ旅立った。何もかもが新鮮だった。全てがスタート地点だった中、あっけないほどに過食嘔吐は、何の変化もなく私の生活の一部のままだった。

  ある人との出会い。彼女に出会った事で私の人生は変わっていった、と言っても過言ではない。憧れのその人に、生まれて初めて、それもとても自然に自分の過食症を打ち明けると、「I have the same problem,I know great one. I 'm gonna introduse you」(私も同じ問題を抱えています。私は偉い人を知っています。あなたに紹介しましょう。)との意外な成り行きに、なぜか少しホッとしたのを覚えている。
  彼女が紹介してくれた過食症専門のカウンセラー、30分で$200は当時の私には痛過ぎたが、そのカウンセラーに会ってから症状が良くなった。彼女の話を聞いていただけに、藁をもつかむ気持ちで通っていた。やっぱりダメだ、と思ったのは、幼少時代の事を話していると、苦しく、悲しくなるのだが、その詳細をうまく伝えられるだけの英語力が当時の自分にはなかった。
  一番肝心な事を伝えられなくてはカウンセリングの意味はなく、やがて私の足は重くなり、カウンセリングが意味のある事とも思えなくなってしまっていた。

  一方私のニューヨーク生活は一見華やいで見えた。この彼女を中心に素晴らしい友人に囲まれ、大好きだったニューヨークで、ニューヨーカーと集う毎日は充実していた。過食嘔吐が一向に変化がないどころか、以前よりもその食べる量、頻度、が多くなっていても、その一見華やいだ日々が帳消しにするかのように、日々は過ぎて行った。
  渡米7年目、現在の夫に出会う。もう一度結婚する事があるとすれば「グリーンカード結婚」(注…永住権)しか考えられなかった当時、まして日本人との再婚は「ない」と言い切っていた。同棲が始まり心を完全に許した頃に、自分の中に変化を感じた。「この人の前では本当の自分でいたい」と思ったのかもしれない。自分で過食嘔吐が止められるかもしれない、と何となく思った。そして私の想像は当たった。
  あれ程コントロール外だった過食嘔吐は嘘のように姿を消し、その代わりに体重が増えた。でもそれを幸せに感じた。太っても平気な自分を喜んでいた。「ああ、やっと普通の人になれた」 父が亡くなり、過食嘔吐が始まって既に13年が経っていた。

  ニューヨークに行ってから、何年も体を動かさない日がなかった自分が、ある事がキッカケでジムにもダンススタジオにも行かなくなって数ヶ月、過食嘔吐がなくなった同時期だった。今思えばワークアウトホーリック(注…とはいつも運動していないといけないと思ってしまう人)でもあったような私が、そんな状況の中姿形が変わった行くのは容易だったと思う。
  ある日彼(今の夫)が私の横っ腹をつかんで笑いながら言った。「すげー、横綱入ってきた!!」そしてその晩から、また私の過食嘔吐が始まった。その時は判らなかったけど、なぜそんな冗談一言で、やっと手を切れた過食嘔吐を始めてしまったのか。なんてセンシティブ(注…敏感)なんだ、と自分が嫌になったけど。
  それ以前に、夫と出会って過食嘔吐がなくなった事がどれ程意味のある事、かも理解していなかった。今思えば、どれ程彼を信頼し、安心し、自分をさらけ出していたのか。太っていても、痩せていても関係ない。この人はこのままの私を必要としてくれてる、そんな風にきっと思っていた。だから夫のあの一言は私を絶望させたのかもしれない。

  何年も後に夫にそんな事実があった事を話すと、「あれは冗談だよ、そんな事で...????」と奇妙な顔をされたが、あれはなんだかずっと奥に隠していた何かを引きずり出されたような、そんな妙な感覚だった。

無題 - 桜音 URL

2023/04/09 (Sun) 18:17:09

こんな記事がありました。

万引依存症「クレプトマニア」は治る 
「成功体験」の記憶をパズルで崩す治療法

https://news.yahoo.co.jp/articles/25aafdfc9787d2ec3f7174b31dfe2f3133c90a1f

カエル様 小次郎

2022/12/02 (Fri) 13:25:32

  NHK Eテレきょうの健康「摂食障害」を拝聴しました。「この病気は2年で治ったら早いといわれる」にほ~と思いました。
  かつて、高等専修学校で校長をしていた折、女生徒がトイレで自殺未遂をしました。同級生が様子がおかしいと思って行って、発見して事なきを得ました。摂食障害が、あまり知られていない時期でしたし、的確な指導が出来なかったことが悔やまれます。
  助けた女生徒には、卒業式前に街中で出会い、ラーメンをご馳走してやりました。自殺未遂生徒は、無事卒業しました。

Re: 小次郎様 - カエル

2022/12/31 (Sat) 20:19:01

小次郎様の気持ち、当時の生徒さんに充分に伝わったと思います。

カエル様 小次郎

2022/11/27 (Sun) 17:18:47

こんな記事がありました。御参考までに。


過食症を克服した人

https://www.bulimic-therapy.net/taikendan/taikendan01.html







  サプリメントを1日3回飲むだけで過食嘔吐が治りました



  幼稚園からバレエを続けていて、常にダイエットをしていた私。思春期に入ると食欲が抑えられなくなり、4年前から過食嘔吐を繰り返すようになってしまいました。体重はみるみる落ち、ついには体重が30kg台前半に…。睡眠も取れなくなり、夜中に冷蔵庫を開けては食べ物をあさる自分に嫌気がさす。そんな毎日を送っていました。

  ある日、私を見かねた母が「一度、専門の先生に診てもらう」と提案。(過食症で病院へ行くなんて恥ずかしい!)と思っていたけど、もう自分にはどうにもならず、母と病院へ行きました。でも、最初に訪れた心療内科では「鬱状態」と言われて薬をもらっただけ。私は単なる鬱病なの?なんだか、見放されたよう気分で、ますます過食はエスカレートしてしまいました。





  過食の根本の原因は”低血糖症"だった!
 
  結局、薬もたいして効果がなく、別の病院を受診。そのクリニックの先生に言われた一言で、私は救われました。「食べだしたら止まらなくなる大きな原因として、低血糖症が考えられます。血糖値が下がるとアドレナリンが分泌され、過食を引き起こしてしまうのです。」

  つまり、原因は心にあるのではなく、体にあると言ってくれたのです。過食症になったのは、自分が弱いからなんだと思っていた私は、この言葉を聞いた時に涙が出そうになりました。

  治療を始めて2ヶ月で過食嘔吐が減少! 血液検査や尿検査などの細かい検査をした結果、「タンパク質の欠如」、「血液濃縮」、「強い貧血」、「過食によるビタミンB群欠乏」、「亜鉛欠乏」など、色々な障害が認められました。検査結果があまりに悪くてショックを受けましたが、原因が分かったのだから、頑張って治療しなくちゃ!と、少しだけ前向きな気持ちになりました

  それからは、足りない栄養素をサプリメントで補う治療が始まりました。多くのサプリメントを飲むので初めは大変でしたが、これも体のため!と、思ってすすんで飲めるようになりました。 
  過食はすぐには止まらなかったけど、「過食がすぐに止まらないのは仕方ないので、焦らないで大丈夫4ですよ」と言われ、とても心強かったです。脳が満腹感を感じるようになるため、まずは一生懸命サプリを飲み続けました。すると、サプリを飲み始めてから、過食嘔吐の頻度が毎日から、週に3~4回と減るようになり、2ヶ月目に入ると、嘔吐は週に1度に減少しました。





  半年で過食の症状がなくなりました!

  治療を受けてから半年後。過食はなくなり、体調は良くなってきました。サプリメントを効果があったのか、血液検査の結果も良好で先生に褒められました。

  治療と言っても、サプリメントを1日3回飲むだけ。カウンセリングに通うようなこともなく、これだけで過食が止まるとは思いもしませんでした。サプリと食事指導だけで治らない人もいるそうですが、私には合っていたようです。一人前のご飯で満腹感が得られる幸せをかみしめながら毎日を送っています。

Re: 小次郎様 - カエル

2022/11/28 (Mon) 21:17:22

記事を読みました。
ありがとうございます。

私の場合は、持病で薬を使用していて、この薬は空腹感や食欲がでてしまい、過食になることがあります。


クレプトマニアではない放送ですが、 - カエル

2022/11/26 (Sat) 23:12:06

12月1日の木曜日、20時30~20時45
NHK Eテレきょうの健康で、「摂食障害
」を放送予定です。

クレプトマニアの記事と動画です。 - カエル

2022/11/22 (Tue) 21:07:51

カバンの中にいろいろ入っていて… 「窃盗症」クレプトマニア 盗み止められぬ理由…当事者が語る

HTB北海道テレビ

11/18(金)

約5分ほどの動画も見ることができます。

続きです。 - カエル

2022/11/22 (Tue) 21:18:11

☆大通公園メンタルクリニック長谷川直実院長:「どうせ吐いてしまうので、買うのがもったいないという気持ちになる人もいる/元々物を持ってきて自分のエリアに置くのは動物の本能的なもの癖になった行動になると本能的な部分も出てくると思う。」

☆癖になった行動を治すには、「条件反射制御法」と呼ばれる治療の他当事者同士が話すグループミーティングが重要だと言います。

☆長谷川院長:「アルコールでも断酒会があるようにみんな一緒に回復を目指すとか/正直になれる場所があるのが大きなことだと思う」

無題 - もみじ

2022/11/13 (Sun) 17:55:11

これから年末になり、どのお店にもGメンが入ります。
今ならまだ間に合うから。
やめよう。

https://www.youtube.com/watch?v=I-1I7BbHvb4

訂正です。 - カエル

2022/10/03 (Mon) 22:55:16

番組のなかで、「負こそ正の力なり」でした。

クレプトマニアでは無い放送ですが、 - カエル

2022/09/27 (Tue) 21:03:16

ハートネットTV「負こそ生の力なり 薬物依存症を生きて 近藤恒夫」
初回放送
2022年9月27日(火)

今年2月、日本初の当事者が運営する薬物依存症リハビリ施設・ダルクを創設した近藤恒夫さんが亡くなった。1985年の開設当時、社会には薬物依存は病気だという認識はほとんど無く、犯罪者扱いされ、回復の見込みもほぼないと思われていた。そうした中、ダルクからは回復者が生まれ、これまでに3万人以上が社会復帰している。薬物依存症は孤立が生み出す病気であり、刑罰ではなく治療が必要だと訴え続けた近藤さん生涯を描く。

見逃し配信でみることができます。
再放送もあると思います。

ご興味あればです。

クレプトマニア,家族と友人のための掲示板について - テツ

2022/09/24 (Sat) 19:15:43

連絡が遅れてすみません。
クレプトマニア,家族と友人のための掲示板の管理人です。
家族掲示板は、下記サイトに引っ越ししました。
https://jbbs.shitaraba.net/sports/44317/
以前のの書き込みも残っております。
今後ともよろしくお願いいたします。

Re: クレプトマニア,家族と友人のための掲示板について - 管理人

2022/09/25 (Sun) 09:24:42

ご連絡ありがとうございます。リンクも修正いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。

クレプトでは無い番組ですが、 - カエル

2022/09/13 (Tue) 18:35:51

ハートネットTV「塀の外のわが子を思って―絵本を読みあう女性受刑者たち―」
初回放送
2022年9月12日(月) 午後8時00分〜 午後8時30分

山口県にある日本初の官民協働の刑務所・美祢社会復帰促進センターで行われている更生プログラムが今注目を集めている。子どものいる女性受刑者が、思い思いの一冊の絵本を選び、それを読む声を録音して塀の外のわが子に届けるというものだ。親子関係を見つめ直すことが更生にもつながると12年前に始まった。今回、2か月にわたりプログラムに密着取材。絵本を通して、自分自身と深く向き合う女性たちを見つめる。

ネットで見ることができます。

続きです。 - カエル

2022/09/08 (Thu) 10:11:42

リコネクトプログラムと、著者の藤野京子さんで検索すると、PDFでリコネクトプログラムの概要を読むことが出来ました。

クレプトマニア向けの本の出版です。 - カエル

2022/09/07 (Wed) 23:05:24

ワークブック 窃盗離脱プログラム リ・コネクト
藤野 京子 著 |鷲野 薫 著

現代人文社
3,500円+税 出版年月日:2022/09/15

ご興味あれば、ご一読ください。

情けない話を聞いてください。 - まみこ

2022/07/22 (Fri) 07:47:43

情けない話を聞いてください。

私は犯罪を犯しました。
過去3回、窃盗で警察署へ行きました。
逮捕はされず、1回目厳重注意、2回目不起訴、3回目罰金刑でした。

旦那さんには2回目の時に
「もう二度としないと約束しろ」
た、言われたのに1年後にはもう罪を犯していました。

3回目を告白した時に
「もうない。」
と、当たり前ですが言われました。

2回目のあと、精神科にかかりクレプトマニア、トリコチロマニア、うつ病と言われましたが
「専門病院でないので「うつ病」以外ははっきりと診断はできない」
と、言われています。

精神的なもののせいにするな。
盗ろうとして店に行っているんだろう。

そう言われましたがその通りだと思っています。

旦那さんには
「最後の情けだ。俺はお前を二度とゆるすつもりはない。子供も絶対に渡さない。ただ、今の生活を続けたいならすぐに自分の両親に今までの行為をすべて伝えろ。俺だけじゃ手に負えない。どこかに買い物に行く時は必ず大人も同行しろ。俺か両親と必ず行くようにしろ。そして、今の会社に迷惑がかかるから今の会社をすぐに辞めろ。理由は自由だが、俺はお前の上司に聞かれたらはっきりと「窃盗で3回捕まったから会社に迷惑をかける前に辞めさせた」と言う。そして、もうこれで最後だ。これがなかったらもう駄々をこねるな。必ず離婚しろ。」
と、言われました。


私は旦那さんと子供(今年5歳、2歳)と離れたくないのでこの条件に従い、自分の両親と会社に伝えました。
両親には呆れられ、私の嫁ぎ先に申し訳ないと泣かれました。
上司には「分かりました」と、だけ言われ退職の手続きをしてもらっています。

家では旦那さんは私と会話はしません。
当たり前です。
旦那さんには「子供のことについての話等はする。それ以外は無理だ。」と、言われました。
今朝も旦那さんに握手を求めましたが「無理だ」と言われました。
当たり前です。
それでも私は今の生活を続けさせてもらっているだけ感謝しています。

子供の保育園を転園させたくないので仕事を探すことも許可してもらいました。
「精神論は俺は信じない。病気だか何だか知らないがそんなものは甘えだ。意志の問題だ。お前の意思が弱く、考えが甘いから何度も繰り返すんだ。」と、言われました。
その通りです。
でも私の精神と考え方が狂っているのは間違いがないので、今の病院ではなく別の病院へ行くことも考えています。近隣ではないので遠い場所になってしまいますが、専門の医療機関に行き、治療をしていくつもりです。

すいません。
話を聞いてほしくて投稿しました。
不快に思われたら申し訳ありません。

旦那さんが楽しい家庭を作ろうと思うなら - 小次郎

2022/07/22 (Fri) 15:59:54

1、家では旦那さんは私と会話はしません。
2,「精神論は俺は信じない。病気だか何だか知らないがそんなものは甘えだ。意志の問題だ。お前の意思が弱く、考えが甘いから何度も繰り返すんだ。」

  旦那さんが楽しい家庭を作ろうと思うなら、1,2を改めなければなりません。この文章を是非旦那さんに読んで貰って下さい。

1、   窃盗症=クレプトマニアは病気なんだから、家族の協力なかりせば、病気は治りません。奥さんを突き放して「さあ、治れ。意志の力で治してみろ」といったって、刀折れ、矢尽きて倒れている者に叱咤しても無理というもの。そっと寄り添い、「大丈夫だ、俺がいる限り」と励ませば、病人も徐々に立ち直ります。旦那さんが楽しい家庭を作ろうと思うなら、今こそ旦那さんの出番です。

2、   私は、アルコール依存症です。アルコール依存症になって解ったことがあります。酒は薬だということです。昔から「酒は百薬の長」だと言われています。百薬の長でも薬は薬です。糖尿病の薬を、2日分、3日分を一遍に飲み続けたらどうなりますか? 低血糖でアポンしますね。過ぎたら薬ではなく、毒なのです。その酒の毒の力が、私の意志の力を凌駕しました。どうにも酒を制御できないのです。信用・友人・職場・家族、次々に失くしていきました。病院にたどり着いてやっと回復への道を歩み始めました。

3、   クレプトマニアも依存症ですから、やめようと思っても、窃盗の欲望が意志の力を凌駕しているのです。病気なんです。病気なんだから治療できます。私の場合、医師の力、薬(抗酒剤)の力、仲間の力(断酒会)が、有効でした。30余年断酒しております。
クレプトマニアにも同じ様な3つの力があります。この掲示板を読めば分かります。

4、   旦那さんへ  楽しい家庭を作ろうとおもうなら、上記1、2を考え直して下さい。奥さんのためより、旦那さんのためになると思いますよ。

無題 - ネモフィラ

2022/07/28 (Thu) 04:48:09

専門医にかかること、賛成です。
そして、クレプトマニアの自助会(KA)

http://www2.wind.ne.jp/Akagi-kohgen-HP/Kleptomania_meeting.htm

を紹介してもらってください。

「盗ろうとして店に行っている」のは本当で、でもそれは脳が快感を求めてプログラミングされてしまっているからなんです

自分だけでそのプログラミングを書き換えるのは無理

無題 - 315番

2022/07/16 (Sat) 13:55:35

今月12日に、障害福祉課の人やサポートしてくれる人が来て、25日にクリニックに入院が決まったと報告しに来た。5月の時点で、入院は8月下旬だと聞いたので、正直なところ焦っている。不安が大きい。加療して、本当に治るのだろうか?焦りや不安だらけ。

一昨日、「やっぱり、7月は無理。」と伝えたところ、「こちらも、その方向で準備を進めているし、ここで腹を決めた方が良い。」と言われました。

この文章も、悩みながら、考えながら書いています。
拙い文章を、読んでいただいて、ありがとうございます。

不安だけど - ネモフィラ

2022/07/16 (Sat) 18:36:14

ここで入院を流すと、きっとさらに治療が遅くなると思います。

入院したからと言って完全に治るわけではなく、一生付き合う病気だと思っています。

でも、治療しなければ確実にエスカレートする。
入院できるのは、本当にひとにぎり(そもそも地方では盗癖を見てくれる医者もいない)

私は入院をおすすめします。

ネモフィラさんへ。 - 315番

2022/07/16 (Sat) 20:57:18

返信ありがとうございます。私が、こんなに肝っ玉の小さい人間だったとは、思いもよらず。本当に、焦りと不安しかありません。

短い文章で、ごめんなさい。

7月16日(土)の放送です。 - カエル

2022/07/16 (Sat) 08:39:05

NHK Eテレで13時~14時
こころの時代~宗教・人生~「それでも、信じる 負け続ける元裁判官」
イチケイのカラスにでてくる裁判官のモデルとなった人です。
クレプトマニアにも関係ある人です。

無題 - まき

2022/07/11 (Mon) 02:27:01

百均の化粧品を手に持って、おそらく尋常じゃなかったのでしょう。私服警備員と思しき方が後ろから肩を当ててくれて正気づきました
あぶないところだった

無題 - 315番

2022/07/16 (Sat) 18:15:58

私は、10回くらい捕まって、警察のお世話になっています。一緒に、立ち直りませんか?

余計なお世話だったら、ごめんなさい。

クレプトマニアの記事です。 - カエル

2022/07/07 (Thu) 18:14:35

万引き容疑で逮捕の読売新聞「20代女性記者」、エリートがなぜ“弁当・お菓子・マンガ”を盗んだのか
7/4(月)
週刊女性PRIMEより、ネットで読むことができます。
治療方法もでてます。

Re: クレプトマニアの記事です。 - 小次郎

2022/07/09 (Sat) 10:45:30

内容を書く。

万引き容疑で逮捕の読売新聞「20代女性記者」、エリートがなぜ“弁当・お菓子・マンガ”を盗んだのか
         7/4(月) 5:31配信 週刊女性PRIME

  「地元・札幌市の商業施設内の書店で漫画本を盗んだところを見つかり、現行犯逮捕された3日後のことだ。こんどは、約2か月前に出張先のコンビニエンスストアで弁当などを盗んでいた容疑が固まり、再逮捕となった。将来を嘱望された事件担当の若手記者で、他業種の同年代と比べてずっと高給取りのはずなのに」と捜査関係者は呆れる。
  北海道斜里町のコンビニで、弁当や菓子などを万引きしたとして、道警斜里署は6月21日、読売新聞北海道支社の報道記者・高橋沙耶香容疑者(24、高ははしごだか)を窃盗の疑いで再逮捕した。道警によると、被害に遭ったのは計9点で、被害総額は販売価格で2657円。警察の取り調べに対し、「反省しています」などと述べ容疑を認めている。
  事件があったのは4月28日午後8時57分ごろ。現場の斜里町ではその5日前、知床半島沖で小型観光船『KAZU 1』が沈没する事故が起こり、テレビや雑誌、新聞各社の記者が町に大挙していた。高橋容疑者も取材のため、札幌から出張中だった。防犯カメラの映像から特定に至ったという。
  最初の逮捕案件は6月18日午後8時55分ごろのこと。自宅や職場に近い札幌市内の書店で、販売価格880円の漫画1冊を盗んだとして窃盗の疑いで現行犯逮捕された。札幌区検が処分保留で釈放した同21日に再逮捕となった。
  被害に遭った書店の関係者はこう話す。「最初に万引き被害に気づいたのは5月だった。コミック単行本を十数冊ごっそり盗まれ、防犯カメラをチェックしたところ万引きする若い女が映っていた。それで警戒していたところ、犯行当日に人相などのよく似た女が来店したため、“あの女が来た!”と防犯カメラで監視しているとまた万引きした。ただちに警察に通報するとともに、スタッフが女に声をかけると逃げようとした。警察がすぐに来てくれたので逃げられずに済んだけれど」

    慶應卒のエリート女性記者が万引き

  盗まれたのは漫画1冊とされているが、そんな控えめな犯行ではなかったという。「実際は6、7冊ぐらい盗もうとしている。声をかけられて捕まるまいと投げつけたのか、投げ捨てたのか、最後に手元に残っていたのが1冊だけだったにすぎない。コンビニでも万引きをしていたんでしょう? 店にとって、万引きは死活問題になり得るというのに悪質ですよ」(前出の書店関係者)
  高橋容疑者は岐阜県出身。慶応義塾大学文学部を卒業し、2020年に記者生活をスタートさせた。初任地が札幌だった。「事件取材のほか、高校野球の地方大会や保護猫の飼育問題、北炭夕張新炭鉱ガス爆発事故の周年振り返り記事など精力的に取り組んでいた。激辛マニアでもあり、東京や関東近県の有名店『蒙古タンメン中本』で激辛の北極ラーメンを食べるほど。その意外性を売りに人脈を広げていた」(容疑者の知人)

※あと、万引きの心理など解説が続く。

Re: 小次郎さんありがとう。 - カエル

2022/07/09 (Sat) 18:24:22

私も、治療方法の部分を追加します。

「全国に数は少ないですが、病院などの施設内にコンビニの模擬店を作ってそこを歩かせるんです。すると盗みたくなり、そのときにどうすればいいかを学ぶ。例えば親指を内側に入れてギュッと拳を握ると我慢できるとか。あるいは盗ませて、模擬店を出るときに店員役の病院職員がポンポンと肩をたたき、“盗んじゃダメだよ。返さないとね”と繰り返して覚えさせる。すぐに治療効果が出るわけではないので、治るまではひとりでスーパーやコンビニなどに行かないようにします。そうやって多角的に取り組みながら治していくんです」(碓井教授)
 逮捕された記者が窃盗症かどうかはわからない。

修正の仕方がよくわからなくて、この記者の人は窃盗症かわからないそうです。

クレプトマニアではない放送ですが、 - カエル

2022/05/26 (Thu) 14:22:03

ハートネットTV 私のリハビリ・介護「摂食障害の私と手をつないで 鈴木明子」

[Eテレ] 2022年06月01日 午後8:00 ~ 午後8:30

フィギュアスケート日本代表としてオリンピックに2度出場した鈴木明子さん(37)。現役時代に摂食障害を経験。選手生命の危機に直面していた。回復までの日々を伺う。

もし、よろしければ御視聴して下さい。

Re: クレプトマニアではない放送ですが、 - ネモフィラ

2022/05/26 (Thu) 20:44:50

摂食障害とクレプトマニア、根っこは同じです。
なにか回復のヒントが見つかるかもしれませんね。

移転 - 凪

2022/05/14 (Sat) 15:13:46

HP移転してから初めてきてみました。
捕まってから気づけば1年半以上経ちました。
クリーンな日を重ねたい。

また覗きにきます…!

無題 - ネモフィラ

2022/05/13 (Fri) 23:41:27

窃盗癖も摂食障害も鬱も、根っこは同じです。
3つの病気を持ってるんじゃなくて、風邪のときに「熱・咳・鼻水」が出る・・・そんな感じ。

入院加療で、良い方向に進むことをお祈りしています。

無題 - 315番

2022/05/08 (Sun) 18:48:18

最後まで読んでいただけたら、幸いです。


4/22(金)、あるコンビニでおにぎり5個を万引きしたところを捕まり、“お金は払うから”って言っても、問答無用で警察署に行き、そのまま私の住んでいる伊よりも離れたところにある警察署の分室“留置場”に入れられました。万引きの前歴が数回あり、本当に問答無用でした。留置場でついた名前が、315番。情けなくて、惨めで、寝られなかった。違うコンビニでは、「うつ病とか言ってるけど、笑わせんじゃねぇーぞ!!ゴルァ!!」って、暴言も吐かれました。当たり前ですが。


崖っぷちどころか、もう、崖の下に落ちた。令和になって、4年ちょっとになる。もう、じゅうぶんに生きてきた。もう、いつ死んでもいい。


貯金もないため、国選弁護人をお願いしたら、超有名法律事務所からH弁護士が駆けつけてくれた。4日半ほどで留置場から出られたのも、H弁護士が懸命に動いてくれたからと、ありがとうを100万回くらい言わなければならないと思っています。「今度 万引きしたら、実刑間違いなしだよ。」って、優しく言われました。“この弁当を万引きしたら、私は刑務所行きだ。”って踏み止まっています。


動画サイトで、S氏が言っていた。「犯罪を、犯罪だとわかっていながら、犯罪ができる。これってもう、心が壊れいる証拠なんです。」って。S氏は、こうも言っていた。「更生という字を合わせると、甦りになるんです。」と。


私は立ち直るべく、窃盗癖専門のクリニックに入院します。市役所の障害福祉課の人と相談中なので、日にちは決まっていません。内臓家の病気と、うつ病があるので、お薬の関係もあります。甦りたい。矛盾しているけど、もう少し生きていたいです。


拙い文章を読んでいただいて、ありがとうございました。

Re: - 315番

2022/05/08 (Sun) 18:56:23

伊ではなく、市です。間違えました。ごめんなさい。

Re: - いちご

2022/05/09 (Mon) 08:49:03

がんばってください、応援しています

私もがんばります

Re: - 小次郎

2022/05/09 (Mon) 11:03:41

更生したいという気持ちが伝わってきます。

Re: - 315番

2022/05/09 (Mon) 17:07:01

いちごさま、小次郎さま、誤字脱字がある拙い文章を、読んでいただいてありがとうございます。


いちごさま、一緒にがんばりましょう。私も、いちごさまを応援します。


小次郎さま、今回の件で更生すると決め、その一歩を踏み出すことができます。ありがとうございます。

Re: - とあるひと

2022/05/28 (Sat) 15:00:02

本当に更生したいという気持ちがあるなら、一度刑務所入るといいよ。
窃盗癖は薬では治らない。

薬をやめられて初めて自立できる。
私はそうでした。
刑務所入らなかったら、ズルズルとクソみたいな生活を送り続けていたと思います。薬ばかり飲んで生きている心地がしない毎日は本当に辛かった。

無題 - ネモフィラ URL

2022/05/08 (Sun) 16:41:22

万引きだけなら「窃盗罪」ですが、抵抗すると「強盗」になります。

https://mainichi.jp/articles/20220507/k00/00m/040/294000c

無題 - miwa

2022/04/27 (Wed) 23:24:16

書き込みないですね。
盛り上げていきましょう!


あと、消さないでくださいねw

16日のテレビの放送で、 - カエル

2022/04/15 (Fri) 21:44:59

NHKの放送です。

ここで、私を生き直す
初回放送日: 2022年4月16日

和歌山市にある、女性たちの依存症回復施設。入居者はプログラムの一環として、過去に自分が傷つけた人たちの元へ謝罪に行く。過去の自分と決別しようと葛藤する姿に密着。

女性たちの依存症回復施設・和歌山ダルク。薬物やアルコールへの依存で、人間関係も壊れてしまった人々に手を差し伸べるのは、代表の池谷太輔さん(45)。自身も20年近く薬物依存に苦しんだ末、克服した経験を持つ。池谷さんが実践するのは「埋め合わせ」というプログラム。過去に迷惑をかけた人たちに直接謝罪することで、過去の自分と決別することを促す。依存症からどう生き直すのか?葛藤の日々を記録。

クレプトマニアとは違いますが、ご興味ある方は観てください。

追加 - カエル

2022/04/15 (Fri) 22:16:38

午前10時5分からです。
どうも新しい掲示板に慣れないです。

無題 - 管理人

2022/04/16 (Sat) 08:27:26

私も慣れないです。
特にスマホからだと扱いにくいですね。。。


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